腕時計

 

お題「腕時計」

 

 お恥ずかしい話、大学生の時まで腕時計を滅多に付けたことがありませんでした。

 腕時計の何がそんなに嫌かって、その存在感や重みも嫌でしたし、安い腕時計だったせいもあって、すぐ壊れるんです。せっかく付けているのに正確な時間を知ることができないストレスも相俟って、あまり好きではありませんでした。

 小中高と運動部でした。

 走って泳いで騒いで、散々汗をかくと、腕時計に限らずアクセサリーも邪魔でした。壊れたり、どっかへ飛んでいったり、金属特有の匂いが不快に感じられたりしました。

 きっとアクセサリーとは、汗をかかないような環境で悠々と過ごすことのできる人のためにあるものなんだと、チェーンの切れたネックレスに落胆しながら考えたことを覚えています。

 

 当時、生意気にも携帯電話を持たせてもらっていました。

 小学校の頃から、習い事をいくつかさせてもらっていて、私は時間通りに終わらせることができない子どもでした。塾とピアノと水泳と英会話と数学専門の塾のようなものに通っていました。

 塾では、授業内に質問できなかったことを延々と聞いていて終わらず、ピアノの教室では先生のお宅に置いてあった『うる星やつら』を延々と読んでいて終わらず、英会話では先生の物マネを延々としていて終わらず、数学塾では問題集を3周するまで延々と数式を書いていて終わりませんでした。たまに習い事がない日には、学校の運動場から離れられず、近くの山で木に登っていたら色々な理由で降りられなくなった末に上級生に助けてもらって友だちに延々と怒られました。

 そういう経緯もあったせいか、居場所を逐一報告するようにと言いながら携帯電話を渡されました。首から提げていると邪魔で、走っていると胸板にバンバン当たって痛かったです。とても不便でした。

 唯一、そのときの携帯電話に利点があるとすれば、ほぼほぼ正確な時間を知ることができることと、電話ができることでした。

 そのため時間を見るときには全面的に携帯電話を信用していました。時計に通話機能が付いた機械くらいの認識だったのでしょう。

 さすがに働き始めてからスマホで時間を確認するわけにはいきません。面と向かって話している時間が長いので、腕時計を見るのも失礼です。

 

 お恥ずかしい話、未だに腕時計をつける意味はよく分かっていません。

 安価な腕時計を申し訳程度に腕に巻いて、その場に合った服を着て、それなりに見える鞄を持って、ヒールを履いて、そういう認識だから社会人失格と、オメガのダイバーズウォッチをつけて50万の革靴を履いた同年代の人に呆れられるのでしょう。

 しばらくは分からないままでもいいかなと何となく思いました。