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 年の瀬ですね。

 年の瀬だろうが何だろうが仕事は終わらないので今日もお仕事です。

 

 今日は忘年会がなかったので1人でお酒をのんでいます。

 お酒をのむときにお豆腐とめかぶは欠かせません。最近は白菜と牡蠣もおいしくて嬉しいです。

 お鍋っていいですよね。

 飲み会とかのお鍋は気を遣ったりするので面倒ですが、自分の好きなように食べるお鍋は楽です。

 11:1:1か12:1:1がおいしいです。具材にもよりますが、水と薄口醤油と味醂をそれくらいの割合で、あと適当にダシの素とか入れると簡単に鍋もどきができます。

 牡蠣鍋とキムチ鍋が好きです。

 キムチ鍋はいつも私が作ると全然辛くないと叱られますし、作ってもらうとたまに辛すぎて食べられないので喧嘩してしまいますが好きです。

 牡蠣牡蠣言っていたら、友だちが牡蠣フライを2皿頼んでくれました。

 その前の日には、取引先の方に生の牡蠣を食べさせてもらいました。

 その前の前の日には、蒸した牡蠣が乗っている五目ごはんを食べさせてもらいました。

 牡蠣ってバリエーションがあって素敵ですね。

 牡蠣鍋が食べたいです。

 

 おわり。

腕時計

 

お題「腕時計」

 

 お恥ずかしい話、大学生の時まで腕時計を滅多に付けたことがありませんでした。

 腕時計の何がそんなに嫌かって、その存在感や重みも嫌でしたし、安い腕時計だったせいもあって、すぐ壊れるんです。せっかく付けているのに正確な時間を知ることができないストレスも相俟って、あまり好きではありませんでした。

 小中高と運動部でした。

 走って泳いで騒いで、散々汗をかくと、腕時計に限らずアクセサリーも邪魔でした。壊れたり、どっかへ飛んでいったり、金属特有の匂いが不快に感じられたりしました。

 きっとアクセサリーとは、汗をかかないような環境で悠々と過ごすことのできる人のためにあるものなんだと、チェーンの切れたネックレスに落胆しながら考えたことを覚えています。

 

 当時、生意気にも携帯電話を持たせてもらっていました。

 小学校の頃から、習い事をいくつかさせてもらっていて、私は時間通りに終わらせることができない子どもでした。塾とピアノと水泳と英会話と数学専門の塾のようなものに通っていました。

 塾では、授業内に質問できなかったことを延々と聞いていて終わらず、ピアノの教室では先生のお宅に置いてあった『うる星やつら』を延々と読んでいて終わらず、英会話では先生の物マネを延々としていて終わらず、数学塾では問題集を3周するまで延々と数式を書いていて終わりませんでした。たまに習い事がない日には、学校の運動場から離れられず、近くの山で木に登っていたら色々な理由で降りられなくなった末に上級生に助けてもらって友だちに延々と怒られました。

 そういう経緯もあったせいか、居場所を逐一報告するようにと言いながら携帯電話を渡されました。首から提げていると邪魔で、走っていると胸板にバンバン当たって痛かったです。とても不便でした。

 唯一、そのときの携帯電話に利点があるとすれば、ほぼほぼ正確な時間を知ることができることと、電話ができることでした。

 そのため時間を見るときには全面的に携帯電話を信用していました。時計に通話機能が付いた機械くらいの認識だったのでしょう。

 さすがに働き始めてからスマホで時間を確認するわけにはいきません。面と向かって話している時間が長いので、腕時計を見るのも失礼です。

 

 お恥ずかしい話、未だに腕時計をつける意味はよく分かっていません。

 安価な腕時計を申し訳程度に腕に巻いて、その場に合った服を着て、それなりに見える鞄を持って、ヒールを履いて、そういう認識だから社会人失格と、オメガのダイバーズウォッチをつけて50万の革靴を履いた同年代の人に呆れられるのでしょう。

 しばらくは分からないままでもいいかなと何となく思いました。

下書き投稿ラッシュしてる

 

 今日はお休みでした。

 書きたいと思ったときに書かないと駄目ですね。何を書こうと思ったのか忘れてしまいました。

 

 もうすぐ誕生日なので、昨日はお誕生日会をしてもらいました。

 お誕生日会っていうと、なんかむずむずしますね。毎年やってもらっているのですが、小学校のときにも毎回やっていなかったようなことを、大人になってからやってもらうのは、ちょっと照れます。

 

 新宿で19時からだったので、18時に電車に乗れば間に合うだろうと思いました。出先から、山手線に乗り継いで向かいました。

 恐ろしいですね、全く着かない。

 通勤・帰宅ラッシュってうんざりしますよね。通勤ラッシュのほうはまだ慣れているのでいいんですが、帰宅ラッシュとなるとほぼ初体験だと思います。

 この時間に電車に乗ることはあっても、下りから上りへと向かうものばかりだったので、ラッシュ時に毎度電車を使うひとは大変だなぁと思いながら、体格のいいおじさんにサンドされていました。暖かかったです。

 

 お誕生日会はつつがなく終わり、体調のこともあり、いつもより早めに帰りました。

 楽しかったことがあった後は猛烈に全部嫌になるときがあるのですが、それが私の良くないところなのでしょう。良かったことを良かったまま、正直な感想を持とうとしないから、いつまで経っても駄目なやつなんだと思います。

 とか何とか思いながら、もらった誕生日プレゼントを彼氏に自慢し、写真を撮り、へらへら笑っているうちはマシに思えてきます。しょうがねぇなあってかんじです。しょうがないクソ野郎です。どうしちゃったんでしょうか。

 ハッピー25歳やったね。

楽しい

 

 お片付けできないひとって何なんでしょうね。

 どうしてお片付けできないのでしょう。

 

 あっちへポイポイ、こっちへポイポイ。

 放置したまま気にならないのでしょうか。何で放置する前に捨てるか、いつもの場所に戻さないのでしょうか。気にならないから放置してるんですか。

 

 仕事から帰ってきて、ベッドの上に広がる一面のティッシュを見てちょっと笑ってしまいました。

 ゴミ袋を持ってきて膝を叩くと集め始めるので面白いです。

 集めてる最中、応援してると嬉しそうにしてるので膝で遊びます。

 この遊び、これがですね。好きなんです。アホみたいに私が笑います。

 集合、パトロール、解散、ばいばーいってご存知ですか。

 検索してみてください。

 地域差があるかもしれませんが、概ね同じだと思います。

 楽しいです。

ラ↑イン↓

 

 以前から言われていました。

 ラインの返信がおかしいと、何度も言われていました。

 おかしいというか、女性らしくないと言葉を探しながら言われたので私も戸惑いました。

 

 なんてこと、どうしようと言いながら、今年は絶対おかしくないラインの返事の仕方を学んでやると思いました。

 丁度去年の今頃です。

 心の中で固く誓いました。

 ラインをマスターすると思いました。ラインマスターに俺はなる。

 

 変なスタンプは送らない。鉄則ですね。

 可愛いうさぎちゃんとか送ります。この時ばかりは自分のことをうさぎちゃんだと思い込むんです。悪くない気分ですね。舞い上がってしまいそうです。

 

 簡潔な文章を送らない。

 ラインではありませんが、友だちが友だちに送ったメール文章とかを見せてもらいました。

 そうだねっ、とか、うんっ♡、とか書いてあってマジかわいいなと思いました。

 私は思いました。こういうの、見たことあるぞと思いました。

 女の子からのラインってそういうかんじです。

 なるほどね、そういうことね。理解しました。

 友だちの見よう見まねでやろうと思いました。

 マジかわいいなを目指せばいいんです。それが普通ってことであれば、恥ずかしさも消えます。

 自分を変えるために恥をかくことを恐れていてはいつまで経っても現状維持です。

 よし、と思ったまでは良かったです。

 

 彼氏は目に見えてデレデレになりました。

 今までは帰ってきて愛してるって言うだけだったのですが、最近では愛してるのついでに顔中にキスをしてくるので、思わず欧米かと言ったら変な顔をされました。

 すいませんね。

 

 あとは何の変化もありません。

 びっくりするほど何もないです。

 友だちにはどうしたの? と言われるので、うさぎちゃんはやめました。友だちの返信のマネをするのも、もうやめました。

 彼氏が年々ひっつき虫になるのもいつも通りです。私のライン1つで変わるような人ではありません。直接何度もお話ししないと聞かないひとが顔も見えないアプリでのやりとりに心動かされるはずがありません。

 すごいですね。

 ぶれない、譲らない、一本筋通すところは例え間違っていたとしても姿勢自体は好きです。

 

 ラインおかしいと常々言ってくれていたひとはどっかに行きました。

 マジかわいいになれなくて恥ずかしいです。

 

 そういう話をしていたら、聞いていた友だちは興味なさそうにしていました。

 興味なさそうと言ったら興味ないのはおまえ自身だろと適当に返事されたので大好きと思いました。

 見透かしたようなことを言ってくるひとは苦手ですが、慣れてくると快感ですね。変な趣味になりそうです。

 

 おわり。

3/4

 

 溜まった下書きの中から適当に投稿してしまおうかなと思って下書きを眺めていたのですが、だいぶ前に終わった話とかツイッターで書いたことばっかりです。

 今更、昇進試験の話とか、それを受けつつ転職活動した話とかしてもなってかんじですよね。聞き飽きたよってかんじ。

 

 一生ついて行きますとまで言った上司の話をします。それこそ何度もお話してるので聞き飽きたかもしれませんが、大好きなので何度でも聞いてください。

 

 ボス1人、サブ3人といったかんじで直属の上司が4人います。

 ボスのことはよく圧力上司と呼んでいますね。圧がすごいです。毎日圧迫面接受けてるみたいなので一応戦ってみたりご機嫌伺ってみますが、今のところいまいちうまくいっていません。私が辞めると言ったらビックリしたようで、顔がポカンとしていました。ちょっと面白かったです。笑ってたら、なに笑ってんだよと肩を叩かれました。

 

 サブボスの1人だった上司が、私が異動してきて1番面倒を見てくれた上司です。今はもう本社に出向してしまったので元上司ですが、この方をガンガン上司と呼んでいます。

 

 ガンガン上司はとてもアグレッシブです。仕事でも街コンでも風俗でもアグレッシブです。とても精力的に動き回ります。

 燃え尽きるまで動き回らないと死んでしまうと思っていそうです。

 声も大きく、自分に対しては非常にストイックです。

 

 ガンガン上司は、まだ異動前の時期に、通路でニッコニコで挨拶した私に「笑顔がないよ」とか、「顔色が悪いよ」とか耳打ちをしてきました。

 愛想全開だったときに言われたので、絶対にこの人の部下になりたくないなと思いました。

 見透かしたことを言ってくるひとが苦手です。

 

 異動してからも、あんまり良いことはなかったです。

 時代錯誤のお局様にはやいのやいのと言われ、今までの教わったことを「ハァ?」の一言で切られ、売上も取れずってかんじでネガティブクソ野郎になっていました。

 だからといってそのせいで表情までネガティブクソ野郎になりたくなかったので、意地でも笑顔でいてやると、気持ち悪いほど笑っていました。

 ガンガン上司は何もしてくれませんでした。この言い方だと語弊がありますね。うまく言えないです。

 ただ、上司は何をするにも私を連れて歩きました。

 しんどくて一旦逃げようとすると、必ず吉尾吉尾と呼びました。次にやることを言ってから、オラ行けと肩を叩きました。

 人間関係でしんどくて助けてくれとなったときも、オラ行けと言って笑っていました。オツボネーズを仲間にしてこいと言って何もしてくれませんでした。

 おまえならできるだろ吉尾ォが口癖のように、何度も肩を叩かれました。

 

 退職するにあたり、ボス・サブボスと同期には話をしました。

 無理しないでね、吉尾ちゃんのできる範囲でいいからと皆一様に言いました。

 先日、忘年会に行きました。

 ガンガン上司は何か色々言っていましたが、最後まで全力で行けよ吉尾、サボるな、手を抜くな、今の時点で全部把握してるのはおまえだけだと言っていました。

  もう大好きですね。絶対に甘やかさないところが好きです。

 おまえならできるからなと肩を叩いてもらいました。叩かれすぎて強肩になりそうです。

 

 2016年度も、多分2017年度も売上1位ですが、今はだいぶ精神的に楽になりました。

 異動してすぐのときは売れなくて居場所がないと思いましたが、ガンガン上司がどこにでも連れて歩いてくださったおかげで何とかしがみついて来れたような気がします。だから私は営業成績1位にこだわっているのかもしれません。

 もちろん出向から帰ってくるまでおまえにはいて欲しかったけど、おまえはここでなくても生きていけるし、ここじゃないところを見てきたほうがいいと言ってもらえて、安心したことを覚えています。

 

 そんなかんじで、ガンガン上司は最高でした。

 退職時期はもうちょっと先ですが、次に会ったときも肩を叩いてもらえるようにちゃんとしてたいです。

 

つづく。

しょうもない24歳独身

 

 従姉が結婚します。

 5歳年上ですから、今年30歳になる従姉が結婚するとのことで、祖母を筆頭に、父も母も姉も、大盛り上がりのようです。喜ばしいことですね。

 従姉は、叔母さんを亡くしてからずっと、家族が欲しいと言っていました。叔母はとても立派な人で、教師として働き、1人で家庭を支え、ギャンブル三昧の叔父を支えていました。

 従姉も現在は小学校の教師となり、子どもたちがかわいいとしきりに言っていましたから、姪か甥が誕生するのも遠くはないと思います。

 いつの日か、キティちゃんのぬいぐるみを片手に実家に戻る日が来るのかもしれません。くまのぬいぐるみかもしれないですね。

 伯父が昔、私に買ってくれた大きなくまのぬいぐるみと同じようなものを、私も未来の姪か甥に買っていくのかもしれません。

 

 くまをくれた伯父は今どこで何をしているのでしょう。

 遺産相続戦争に白旗を揚げ、長年勤めた会社をクビになり、お見合いの末に同棲した女性のアパートからパンツ一丁で追い出され、十二指腸潰瘍に苛まれていた伯父は、どこへ行ってしまったんでしょう。

 優しくていつもニコニコしていて、受験のときにはお守りをくれた伯父のことが好きでした。私が将来なりたい職業について話をしても、笑わないでいてくれました。現実を突きつけて糾弾したりはしませんでした。

 いつも祖母にお金をもらいに来て父に怒鳴られていましたが、お正月あたりにはひょっこり戻ってくるのかもしれません。

 実家ではさっぱり愛想のない私にも、お年玉をくれる伯父は聖人のようにも見えていました。子どもらしい愛嬌もない子どもにお金をくれる大人ってすごいですね。

 幼い私の、要領を得ない話を延々と辛抱強く聞いてくれるところが好きでした。

  今となってはどれが良くて、どれが本当かわかりませんが、私は好きでしたし、糾弾してくると感じた父と母の言葉も私のための言葉だったと思います。

 

 さて、姉はいつ結婚するのでしょう。

 私はあまり姉のことを知らないので、お相手がいるのかも分かりませんが、姉が結婚すれば何となく色々なことが落ち着くような気がします。根拠がないことなので気がするだけですが。

 

 普段からポンコツですが、家族が絡んでくるとより一層アホになるのをどうにかしたいです。

 言葉が出てこないって怖いですね。顔面偏差値も低く、取り立てて長所もない私がまともにするには口と体を動かすしかないのですが、無言不実行ってかんじで陰鬱です。

 裏も表もクソも、全部吉尾ですボケナスと癇癪起こしそうになるので、これだから私は色々なものから脱出できないのでしょう。思春期は10代だけで充分です。

 バナナ与えとけってかんじですが、しょうもない話、バナナ苦手です。